週刊文春が必死です(w

私は田中真紀子は大大大っ嫌いですが、今回の件に関しては100%断固裁判所の判断を指示します。しかし文春はバカの一つ覚えというか、まるで錦の御旗のように「言論の自由」「表現の自由」って。あんたらの言う自由というのは「無制限の自由」なんですかと。「言論の自由」の名の下なら何をしても許されるんですかと。朝日新聞の3月18日付の社説では、

不正を暴き、社会的な問題を提起しようとする週刊誌の記事はある。今回はそうしたものとは違い、個人の私生活を暴き立てようとしただけだ。政治家の利権やカネといった問題とも無関係である。雑誌を売るために、公人でもない一個人に痛みを強いる記事には公共性は感じられない。
文芸春秋は裁判所の決定に対し、「言論の制約を意味する暴挙」との談話を出した。私人のプライバシーを興味本位で暴きながら、表現の自由をその正当化に使っているのである。それが、表現の自由の価値を結果的におとしめていく態度であることに気づかないのだろうか。

とあり、この点についてはまったくその通りだと思います。ただ、この社説自体は「文春がバカな事をしでかしたおかげで今後俺たちまでとばっちり食うかもしれないじゃないか。気をつけろボケ!」というニュアンスで、文春の行為を非難しつつも裁判所の出版差し止め決定については否定的です。このような見解はなにも朝日だけに限らないわけですが、これはつまり「今回の件でこれからますます出版差し止めが増える」→「事実上の検閲復活」→「ぐんくつの足音が聞こえる」という、3段論法からきているわけですね(笑)。しかしおまえらバカかと。何をビクビク恐れているんだと。自分が本当に正しいと思ったのならば闘えばいいじゃないかと。それぐらいの気概を持たないでどうするんですかと言いたいです。
マスコミの中には、「どんなものでもまずは世間の目にさらされて判断されるべき。その後間違っていれば謝罪なり賠償すればいい」などとほざいた某朝のニュース番組の解説員がいましたが、これは被害者の精神的な苦痛を全く考えていないですね。マスコミの暴力によって負った傷は、謝罪やカネだけで償えるようなものではないと思います。そんなメンタリティだから、誤報やねつ造によって人を傷つけても、居直ったり、申し訳程度に謝罪文やコメントを出すだけで平気な顔をしていられるんだなと思いました。
とにかく、今回の裁判所の決定は、バカなマスコミに警鐘を鳴らしたと言う点で評価したいです。